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山眠る

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 『山眠る』は冬の季語

 2015年,最後のブログになる

今年は飯山に居る時間が多かったように思う。

 

それは、祖父が亡くなった日に感じたことが大きく影響しているのかもしれない。

細かく書くつもりはないけれど

そのときに感じた大切なこととか、人の美しさ、生活の呼吸を

これから先も大事に大事にしていきたいと思ったことが

自然と飯山に居る時間を長くさせたのかもしれない。

 

祖父の古いアルバムを何回も観た

その何冊ものアルバムには、それまで僕が半分副業のようなかたちでやっていたカメラの仕事とはまるで真逆のものがたくさん詰まっていた。

気がついたらカメラの仕事から距離をおいていた。

 

家に居る時間が増えたからか、

今までと違う心持ちで生活していたからか、

家の周りの景色がたくさん目に入るようになった

今まで何度も季節は巡っているはずなのに、初めて見た緑の色だったり光だったり

足元の植物の胞子だったり、今まで見てきた季節というものはなんだったのだろうと思うくらいだった。

なんだかそれが嬉しかった。

 

写真は相変わらず好きだけれど、

撮るものはガラッと変わった気がする。

副業ではなく気ままに明かりを追いかけている

明かりといっても人の呼吸のような生活のようなこと。

 

うちの家族は毎日お仏壇に手をあわせる

庭で育てた花たちが綺麗に咲き開いたら それを摘んでお仏壇に手向ける。

そのささやかな日々の所作がなによりも美しいと思っている。

そんな心持ちで眺めていたら

おじちゃんがしつらえた彫金の模様1つ1つが本当に丁寧で繊細なものだと気がついた。

今年は体験をさせてもらったり一輪挿しを実験的に作った。

まだまだ模様を入れるところまではいけていないけれど、一輪挿しの一周に言葉のような模様を入れて短編小説を読んだくらいの意味合いを探していきたい。

 

彫金の銅板は眺めていると飯山のきれいな夕方の色に似ているなと思うときがある

 

山あいにひかり

山あいのひかり

 

 

信越自然郷というのは大きすぎて掴みきれない

ほんとうはその自然のなかに動物や植物や脈々と流れる水が川になって

脈々と流れる人の生活と脈々と流れる文化があるのに。

粒をみてほしい

粒の連続をみてほしい。

足元にある細かないくつもの光や緑の粒の連続がやっと自然郷と呼べるのに。

と、真っ白になった葉脈をみながら考えた。

 

 

全然つながらない文章

ことし最後もまとまらなかった。

でも来年も続けよう。

山眠る、僕も眠る。冬。