am
ヘアメイクで活躍している友達に
どうしても。といわれて 久しぶりに人を撮った。
「おはよう」と言える場所で撮影がしたい。
友達がそう言ったから
真っ白な場所へ連れて行った。
人を撮るのはやっぱり今の気持ちとは少し違ったけれど
降り積もった雪と一瞬の光に助けられた
厳しい冬の晴れ間はとても貴重だから
その光が手の中に射し込んだ瞬間に思わずシャッターを押してしまった。
おはようのひかり。
はたの
雪の日に
「はたの」さんへ行った
静けさがとても心地いい場所
奥さんこだわりのうつわと
主人こだわりの1つ1つ
冬と初春の料理
深く呼吸して
なんだか背筋がピンとのびた
ふと、外を眺めたときにタヌキが平然と庭を歩いていた
奥さんに聞いたら
はたのさんたちがここに住むまえに
この空き家に住み着いていたタヌキがいたらしく
その子かな?なんて言っていた
ご飯もその日に見た景色も
1つの光景としてとても美しかった
写真は
はたのさんのご飯とその前後で撮ったすこし不器用なfilmたち。
暖光
今年の冬はとてもあたたかい
雪国といわれている地方にほとんど雪が降らない
嬉しいのような悲しいような。
ぼんやりとした暖かい太陽にいっつもウトウトしている。
山眠る
『山眠る』は冬の季語
2015年,最後のブログになる
今年は飯山に居る時間が多かったように思う。
それは、祖父が亡くなった日に感じたことが大きく影響しているのかもしれない。
細かく書くつもりはないけれど
そのときに感じた大切なこととか、人の美しさ、生活の呼吸を
これから先も大事に大事にしていきたいと思ったことが
自然と飯山に居る時間を長くさせたのかもしれない。
祖父の古いアルバムを何回も観た
その何冊ものアルバムには、それまで僕が半分副業のようなかたちでやっていたカメラの仕事とはまるで真逆のものがたくさん詰まっていた。
気がついたらカメラの仕事から距離をおいていた。
家に居る時間が増えたからか、
今までと違う心持ちで生活していたからか、
家の周りの景色がたくさん目に入るようになった
今まで何度も季節は巡っているはずなのに、初めて見た緑の色だったり光だったり
足元の植物の胞子だったり、今まで見てきた季節というものはなんだったのだろうと思うくらいだった。
なんだかそれが嬉しかった。
写真は相変わらず好きだけれど、
撮るものはガラッと変わった気がする。
副業ではなく気ままに明かりを追いかけている
明かりといっても人の呼吸のような生活のようなこと。
うちの家族は毎日お仏壇に手をあわせる
庭で育てた花たちが綺麗に咲き開いたら それを摘んでお仏壇に手向ける。
そのささやかな日々の所作がなによりも美しいと思っている。
そんな心持ちで眺めていたら
おじちゃんがしつらえた彫金の模様1つ1つが本当に丁寧で繊細なものだと気がついた。
今年は体験をさせてもらったり一輪挿しを実験的に作った。
まだまだ模様を入れるところまではいけていないけれど、一輪挿しの一周に言葉のような模様を入れて短編小説を読んだくらいの意味合いを探していきたい。
彫金の銅板は眺めていると飯山のきれいな夕方の色に似ているなと思うときがある
山あいにひかり
山あいのひかり
信越自然郷というのは大きすぎて掴みきれない
ほんとうはその自然のなかに動物や植物や脈々と流れる水が川になって
脈々と流れる人の生活と脈々と流れる文化があるのに。
粒をみてほしい
粒の連続をみてほしい。
足元にある細かないくつもの光や緑の粒の連続がやっと自然郷と呼べるのに。
と、真っ白になった葉脈をみながら考えた。
全然つながらない文章
ことし最後もまとまらなかった。
でも来年も続けよう。
山眠る、僕も眠る。冬。
かつうら
友達に誘われ東京へ
箱根や結婚式以外でこんなにゆっくりお酒を飲んだのは久しぶりだった
これは2日目にドライブで行った勝浦漁港の写真
穏やかな光と風が波をきらきらさせていた
山のいろあい
ゆっくりとゆっくりと山の紅葉が
麓まで降りてきている
あたたかい飲みものが飲みたくなったり
そろそろこたつを出そうかな?と話したり
すこし裏山を散歩しただけで
とても秋らしい収穫があった。
秋の風景が好きだ。
2015.10.24
1024
展示の慰労会をかねて
近いようで遠いところへ旅行へいった
近いのに知らない場所ばかりだった
1日目の写真たち。
倍音
10月3日・10月4日
僕たち家族は、街の花フェスタで1つの展示をした。
展示をするまでにはたくさんの偶然と出会いがあった。
家に長く眠っていた古道具と
コケの先生
それと山でみつけた群生地
特に、この3つの発見や出会いのタイミングも奇跡的だった。
倍音とは、
ある音が鳴ったときに共鳴したり、付随して出てくる音のこと。
例えばpianoでドの音とファの音を同時に鳴らしたときに
ドでもファでもない倍音も宙にゆらりと浮いて漂うこと。
そして、その連続が美しい音楽には必要不可欠らしい。
ある意味、この展示もそんな音楽のようだった気もする。
言葉は多くいらない
家族で1つのものを作れたこと。
とても大切な時間になった。
秋に舞う
9月
収穫の秋に向けて
豊作や健康を願う地区のお祭り
1ヶ月みっちりと練習して1ヶ月みっちりとお酒を呑んで
こんなにも毎日、地区の人たちと時間を共にしたのは初めてだった
本番は緊張というより楽しい時間が流れた
ほどよく酔っ払った大人たちが煽るヤジも
興味深々の子供達の声も
横笛や太鼓と混ざって1つの音楽だった
小さな地区の豊かな時間。
しかしとっても膝がいたい。
まつりばやし
のたうつ様な暑さのなかで
積み重ねる日々の生活
お祭りや花火といった光景はとても夏らしく
日が暮れてからの夕涼みにはピッタリだ
山滴る
「今年の夏は暑すぎる」
なんていうことを、毎年言っているような気がする
日差しの強さに、自然と涼しい色やものを選んでいる
透明なガラスの器やみずみずしい花やコケ
もちろん10月の展示へ向けてというのもある
1つ1つ選んで作って確かめて
緑の写真はまた改めて。